
「成功したい」
「誰にも負けないような地位や名誉が欲しい」
「お金持ちになりたい」
「幸せな家庭を築きたい」
人は、少なからず、こうした願望を抱きながら、仕事に勉強にまい進しているのではないでしょうか。
しかし、こうした思いが強くなりすぎると、どうでしょう。
求めても求めても、なかなかそれが得られぬことが苦しみとなり、ちょっと壁にぶつかって挫折感を覚えただけで落胆し、失望し、マイナスの心を引きずりながら頑張っていかなければならなくなります。
気をつけたいのは、心がそうしたマイナスの状態のまま、いろいろなことに臨んだとしても、能力や感性を存分に発揮できなくなってしまって、なかなかうまくいかないことが多くなってくるということですね。
実になるもの、実にならないもの
山川の末に流るる栃殻も
実を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ
これは、空也という、平安時代中期の僧だった人物の残した言葉です。
栃殻というのは、成熟した栃の実のことなのだそうです。
この栃殻が川を流れるとき、中に実が入っていると、その重さで川底に沈んだまま、転がりながら流れていきます。
ところが、実を捨ててしまって、殻だけになってしまえば、当然軽くなって、再び浮かび上がってきます。
こうしたことから、空也の言葉は、「実に執着していては沈んでいるばかりだが、実を捨てれば浮かんでくる。人の人生もこれと同じで、我欲や執着を捨てさえすれば、浮かび上がって、道が開けるようになる」という意味を表しているのだそうです。
成功するために、幸せになるために、いろいろな願望や欲望を持つことは、無理もないことでしょう。
でも、いくら願ったからといってすぐに得られるものではないようなもの、例えば、お金や地位、名誉などといったものへの欲望を、思いきって捨ててみることです。
ただし、それらへの欲をまったく手放すということは無理ですから、それを願いすぎない、求めすぎないということですよね。
必要以上の欲望を捨て去って、スキルアップを積み重ねていくのもよし、世のため人のために役立つことをやっていくのもよし、そうして今、なすべきことに集中することが最も大切なことですね。
お金や地位、名誉などというものは、それを欲する気持ちをいったん脇に置いておきながら頑張ってきた人たちに与えられるご褒美だと考えておけば、ちょうどいいはずです。
そしてそれは、自然と身につくものです。
追い求めて、たとえ強引にでも手中にできたとしても、それは自分の実になりにくいものですが、気がついたら自然と身についていたというものこそが、本当の意味で自分の実になるわけですね。