後悔に押しつぶされそうになったら

「あのとき、あんなことを言うんじゃなかった…」
「あんなことをするんじゃなかった!」
「どうして、あれをやっておかなかったんだろう……。やっておけば、今ごろはとても楽になっていたはずなのに……」
「あのとき、選択を間違っていなければ、今ごろは……」
過ぎたことをクヨクヨと悔やむことがあります。これは大なり小なり、誰にでもあるのではないでしょうか。
でも、いくら悩んでみても、終わったことをいくら思い返してみても、そのときに戻れるわけでもないし、取り返しがつくわけでもありません。
これは、どうしようもないことなのですね。
とある経典の一節に、次のようなものがありました。
過ぎてしまった過去を追ってはいけない。
まだこない未来を願ってはいけない。
過去は、すでに捨てられたものだ。
未来は、まだやってきていない。
確実にできることは、
現在のあなたをよく観察することだ。
心が揺らぐことなく、動じることなく、
見極めて、できることを実践しなさい。
過去はもう捨て去ったもの
過去はもう、いやおうなく捨て去ったものです。「なかったことになってしまった」と言っても過言ではないでしょう。
それを思い返してはクヨクヨ悔やむ自分と、「誰かがなんとかしてくれないかなぁ」という甘えでイメージするだけの未来というのは、まったくつながらないということですね。
「過去を悔やんでいてツラいから、どうか、未来がなんとかならないかなぁ」というような漠然としたことを思い続けていると、「今」を生きることに集中できません。
経典にある「よく観察する」というのは、それまでの出来事にかかわらず、いったん心を止めてみるということですね。
後悔というのは、「過去に行ったこと」と「そのことを後から考えてクヨクヨ悩む自分」の合算から生まれているということは理解できると思います。
この過去の行動も、クヨクヨする自分もバッサリと切り捨てて、今行うことを決め、それに集中することが大切です。未来というのは、それによってしか創造されていかないからです。
「今」を逃すと、その「今」はどんどん「過去」になっていきます。今この瞬間にもです。いくら「未来」を気にしていても、その未来を創る「今」はどんどん過ぎ去っていっています。
その「今」を明確にとらえ、今なすべきことに集中し、明るい未来を勝ち取ることによってしか、過去へのこだわりを超越できる方法はありませんよね。
さぁ、今日何ができるか。そして、明日のために準備しておくことは何か。「今」精いっぱいできることを見つけましょう。