
日ごろ、仕事でイヤな出来事に遭遇すると
「自分の天職って、なんだろう…」みたいに
ふと思うことがありませんか。
「もっと、ほかに道があるはずだ」と。
ちょっとしたツラい心境ですよね。
多くの人は、天職について
「自分の才能が活かされて、能力がフルに発揮できる」職場をイメージします。
漠然とでも、そう思いますよね。
一言で言えば、「やり甲斐」。
経営の神様といわれる松下幸之助さんが伝えた「天職発想」、それは
「イヤイヤながら仕事をしてはいけない。
自分の天職に夢中になって没頭できることが、
人間にとって一番幸せなことだ」
といった意味を表すものだそうです。
そう言われても……現実は…
でも、ユニークなことをおっしゃっています。
それは
「自分から天職を探し出す必要などない」
ということです。
探すものじゃない!?
ふつうは、
「天職は、自分の価値観で見つけ出すもの」って思いますよね。
なのに
「自分から仕事を選んではいけない。
与えられる仕事が、すべてその人にとって価値ある仕事であり、
その人の天職だ」
といった意味の言葉を残しています。
……皆が皆、そう割り切れれば苦労はしませんよね。
じゃあ、どうするか。
氏は、
「与えられた、すべての仕事を天職と思って努力するのが一番いい」
という意味のことを述べています。
ひたすら、そう「思いこむ」しかないのでしょうか(笑)。
松下氏の言葉の意味するものは、きっと
今、直面している仕事が
自分にとって価値ある仕事かどうかを考えるのではなく
今、直面している仕事の中に
たった一つでも価値を見いだすことができるほど
今、直面している仕事に
「没頭」してみると良い。
天職かどうかは、仕事自体にそれを問うんじゃなくて、
おのずと決めるもの
ということなのではないでしょうか。
間違ってたらごめんなさい松下さん。(>_<)
氏はまた、
「『今の仕事は天職ではない。自分の天職を得たい』という思いから、
転職を繰り返す人がいるが、そんなことをしても永遠に天職は得られない」
といった意味のことも述べています。
これにすべて集約されている気がしますよね。
どんなことでも、悔いなく、精いっぱい
現実の社会で、自分が描いた理想どおりの仕事に就ける人なんて
ごくごくわずかでしょう。
まして、理想と思ってた仕事につけたとしても、
日々、少しでも充実感を得られなければ、
それはもはや天職とも呼べなくなります。
どんな小さな作業や、たとえ雑用に思えるようなことにさえ、
それを悔いなくこなそうとして、精いっぱい心を込めて相対すれば
必ず、そこから得るものがあるはずです。
「天職」って、
向こうからやってくるものじゃなくて
探し出すものでもなくて
今、与えられた仕事に少しでも価値を見いだせることで
幸せを感じる「瞬間」のことを指すのかもしれませんね。