「できない」んじゃない。「やらない」だけなんだ

何事も、
ならぬといふはなきものを、
ならぬといふはなさぬなりけり
これは、幕末の思想家だった吉田松陰の言葉として、有名ですよね。
「何事も、できないということはない。できないというのは、ただやらないだけである。言い訳に過ぎない」ということを意味しているのだそうです。
吉田松陰が主宰した松下村塾の弟子たちも、この言葉をよく口にしていたそうです。
私などには、少々耳の痛い言葉ではありますが。
話は続きますが、後の初代内閣総理大臣となった伊藤博文が、この塾に入塾してまだ間もない頃、伊藤博文がまだ俊輔と呼ばれていた頃のことです。
俊輔は、吉田松陰にこう言いました。
「高杉(晋作)さんや久坂(玄瑞)さんと違って、私は下級武士の出で、満足に教育を受けていません。だから、先生の講義についていけそうにもありません。今日で塾を辞めさせてもらおうかと思います」
すると、松陰はこう言ったのだそうです。
「それは単なる言い訳に過ぎない。下級武士の出で、満足に教育を受けていないというなら、これから勉強すればいいだけの話だ。講義についていけないというなら、勉強してからにしなさい」
これを聞いた俊輔は大いに反省し、その後、寝る暇を惜しんで勉学に励んだのだとか。
簡単に放り投げない
私たちも、ふだん何らかの課題に直面すると、とりあえずは「とても、それはできそうにない」と思いがちですよね。難易度の高そうな事柄だったらなおさらでしょう。
もしくは、ちょっと始めてみたのはいいけれど、「やっぱ無理だわ」と放り投げてしまうこともあるでしょう。
何らかの資格を取るとき、英会話を勉強するとき、仕事で新たな分野に挑戦しようとするとき。そんなとき、せっかく初心をもってそれらを初めても、やり続けていれば、そこそこできるようになるものを、中途で「できない」と言って放り投げてしまっては、できるようになるものもできなくなってしまいますよね。
結果的に、「やっぱり、できなかった……」というマイナスの心を抱えたままで、自分自身も何ら進展のないままに、その場にとどまってしまうのです。
でも、やり続けて、少しでもできるようになったときの自信といったら、相当なものでしょう。
「できない」と思っても、そこでほんの少しだけでも踏ん張ってみることで、その後がまったく違ったものになってくるとしたら……。
「もうちょっとだけでも、やってみようよ」
そう自分に言い聞かせながら、物事に取り組んでいこうと、思いを新たにしました。